pode ser um romance

未来(あす)への森づくり No9 “ 木霊は語り、そして謳う ”

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チェーンソーの乾いたエンジン音が今日も森に響く。
落葉広葉樹を主体とした森づくりに、シイ、カシ類といった常緑樹が及ぼす影響は決して小さくない。森づくりなのに、なぜ木を伐るのか… というある意味での理不尽(後述)
私たちには、森を、里山を、将来の価値ある有用な財産として 「 贈り届ける 」 といった、たいそう立派な共通理念がある。そのための森づくりであり、しかも持続可能な生物多様性をも視野に置いての活動である。でも、言葉ではそんなふうにサラッと言えても、実は、膨大な時間と労力を費やす壮大な計画なのだ、という重圧と自覚を常に意識している。


作業道具を片手に森へ分け入れば、木霊は語りかけ、そして謳う。
だから、時にはじっと耳を傾けよう。たとえば、傲慢な私たちにも、せめてそんな姿勢は欲しいものだ。

さて、小難しい講釈からの書き出しだけどご容赦いただき、今回はちょっと違った切り口で酒を呑みながらつらつらと。
ま、あまり偉そうなこと、言えませんけどね。





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伐倒された樹齢約20年のシラカシ。
チェーンソーの伐り込み耐え、必死に抵抗したシラカシだったが、最後は悲鳴をあげながら倒れ伏せた。
私たちの目指す森づくりとは、落葉広葉樹を主体とした生物多様性を育む森づくりである。
森自体は生き物であるから、そのまま放っておけば遷移を繰り返しながら本来の姿に戻ろうとする。本来の姿とは何か。それは遠い昔、多分、シイ、カシ類といった照葉樹を中心に構成された森ではなかったのか。そしてその頃、間もなく第一の環境破壊が起こる。それは、当時の業である農耕と密接に結びついた生活のための森への転換なのだ。それが人為的に誘導されたクヌギ、コナラを主体とした落葉広葉樹の森である。当時からそれは生活のための森であったから、後世まで脈々とその姿は保たれてきたのだ。しかも、永い年月を経て、多くの馴染みある生き物たちを育みながら。
私たちが普段目にする里山とか、雑木林とは、その名残と言えるだろう。ならば、そのような生き物たちの安住の地を、できるだけ可能な限り温存したいと願うのである。つまり、本来の姿へ戻る(回帰現象)ということは、第二の環境破壊に繋がる、という理屈である。
伐倒されたシラカシはいずれ土に還る。つまり、死してなお森の生命を担ってゆくということなのだ。



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作業は手順よく進められ、幹、枝、葉枝ごとに分別され整理される。



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伐倒したシラカシの枝を払った状況。
幹も枝も葉もいずれ土に還るが、落葉広葉樹に比べ、常緑樹の葉は分解速度が比較的遅いようだ。



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こちらは衰弱したアカマツを伐倒した状況。
ご覧のように、樹体の中央は空洞になっているが、それでも樹木は生きている。樹体の中身(心材)は殆どが死んだ細胞の集まりであり、生きている部分は樹皮の内側にある 「 形成層 」 という薄い膜のような部分だけである。
樹木にとって切実な問題なのは、中身が空洞でも立っていられるか、ということなのだ。



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この森ではすっかりお馴染のルリビタキ(冬鳥)
この子はとっても人懐こかった。ご覧のように、目の前の切り株の上で、終始私たちの作業を見ていた。



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休息のひと時、ヒヨドリジョウゴの赤い実が目に入った。
今秋は至るところで木の実が豊作のようだが、ここの森でも例外ではないようだ。ガマズミ、ムラサキシキブ、ゴンズイ、ツルウメモドキ、そしてこのヒヨドリジョウゴ。名前の由来は、「 ヒヨドリが賑やかなほど集まる 」 という意味らしいが、鳥たちはあまり好まないらしく、あちこちで鈴なりに実を残していることが多い。実の中身はソラニンという神経毒を含んでいるという。あんなこと、そんなこと、鳥たちもきっと知っているんだろうね。



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一通り作業を終え、観察ついでに森をひと回り歩いて戻れば、陽はもう翳りはじめてくる。
すっかり葉を落とした初冬の森だが、無骨で荒涼として寒々しいけれど、私はそんな光景が好きだ。

冬は生きるものや魂が殖える季節、「殖(ふゆ)」だという。

感慨深いその言葉の真意とは、森に宿る木霊(精霊)たちの語りであり、そして謳なのかも知れない。
by windy1957 | 2013-12-19 22:29 | work